2017年8月24日木曜日

関谷徳衛編『良寛遺墨集』2


良寛が名主見習い役の実務に馴染めず、備中玉島(現岡山県倉敷市)の円通寺に入り、国仙禅師のもとで修行したことを思い出して詠んだ五言詩「憶在円通時」です。もちろん、この『良寛遺墨集』にも登載されています。しかも劈頭を飾る第一図です!!

ところで岡田米山人は、イソウロウをさせてもらっていた安積家で、米つきをやっていましたが、やはり米つきであったという六祖慧能[ろくそえのう]に、みずからを重ね合わせて慰め、また精神を高揚させていたにちがいありません。慧能は唐時代の僧、禅宗の大成者として知られています。

しかしこれは単なる僕の思いつきだったので、傍証として持ち出したのが、良寛の「憶在円通時」でした。僕にとって研究上も忘れることができない和尚さんなんです。その五言詩を、欠落部分も補った和歌風戯訳で……

 思い出す 円通禅寺にいた時に 自分の孤独をよく嘆いてた
 龐居士[ほうこじ]を柴[しば]運ぶとき思い出し 米を搗[]くときゃ六祖慧能
 先生の部屋に入[]るときゃいち早く 朝の座禅も誰より早く
 その寺を辞して帰郷しそれ以来 無駄に過ごした三十年ほど
 山海が備中・越後を分断し 師の安否さえ聞くところなし
 学恩を思えば涙 流水の ごとくにあふれ この詩を作る

2017年8月23日水曜日

関谷徳衛編『良寛遺墨集』1


関谷徳衛編『良寛遺墨集――その人と書』全3巻(淡交社 2017年)

 良寛さんの真贋はむずかしい。そのむずかしい真贋にかけて、誰もが一目置く万葉洞主人・関谷徳衛さんが、半世紀にわたって蒐集した良寛作品をクロノロジカルに編集し、良寛研究家・小島正芳さんの総論「良寛――その生涯と書」を添えて出版したのが本書です。

僕もずっと良寛の書が大好きでした。中国の書をコピーすることから始まった日本の書道が、江戸時代を迎え、ついに我が国独自の書に昇華したのが、良寛の書であると考えてきました。この考えは今も変わっていません。

しかし僕が、改めて良寛のすぐれた人間性に強く心を動かされ、こんな風に生きることができたら、どんなにすばらしいことだろうかと憧憬の念を深くしたのは、中野孝次氏の『清貧の思想』を読んだ時でした。とても真似はできませんが、精神だけも学びたいと思ったものでした。

その後、「米山人伝小考」という拙論を、大学の紀要『美術史論叢』に書いたとき、大島花束編『良寛全集』によって、良寛の漢詩を引用する機会がありました。

 

2017年8月22日火曜日

天羽直之さんと百目鬼恭三郎5


先に李賀の名を挙げましたが、いかにも李賀らしい「秦王飲酒」を、天上で美女に囲まれ酒宴を張っている天羽さんを想像しつつ、最後に僕の戯訳で捧げることにしましょう。天羽さんが親しかった荒井健さんの『中国詩人選集』によると、秦王が誰を指すかについては諸説あるものの、特定の人物に当てはめて考える必要はないそうですから……。

秦の帝王 虎に騎[]り 「宇宙の果てまで漫遊せん!!」
空に輝き光る剣 ただひたすらに碧い天
女神の義和が御者となり 太陽 鞭打ちゃ玻璃[はり]の音
吹っ飛ぶ前世の劫火の灰 太平の日々とこしえに
龍頭樽から酒を酌み バッカスの星招き寄せ
ゴールド飾った琵琶弾けば ベンベンベベン夜[よ]を破る
   激しく雨降る洞庭湖 その音あたかも笙のよう
ぐでぐでに酔い怒鳴りつけ 月をも逆に巡らせる
銀色の雲 連なって 瑶[たま]の御殿に夜も明ける
だが役人はまだ今は 宵の口だと嘘を言う
花の楼閣 凰[おおとり]に 似る美女の声なまめいて
人魚が織った薄絹の 模様は真紅 微香あり
黄娥という侍女 千鳥足 舞いつつ勧める長寿の盃
仙人燭樹のローソクは 軽やかに煙[けむ]あげている
青琴とう侍女 微醺帯び 清らな涙 明眸に……

2017年8月21日月曜日

天羽直之さんと百目鬼恭三郎4


しかし感心はしつつも、そうかいなぁ?と思ったのは、僕がつねづねお世話になっている小学館版『日本国語大辞典』と諸橋轍次の『大漢和辞典』が、日本敗戦の因となった海軍の大艦巨砲主義に例えられていることでした。そして小さい辞典の方が役立つ場合もあり、またこれらには間違いも含まれていることを、実例を挙げて指摘しているのです。

普通は絶対気づかないような細かい点を見つけ出すのは、さすが博覧強記を誇る百目鬼先生だと思いましたが、せっかく大枚をはたいて買った大辞典なのに……と、すぐそっちの方に頭がいってしまったのは、やはり僕の人間的器量が小さいせいでしょうか(!?) 

その時は拾い読みをしたままになっていたので、今日は盆休みの一日をかけて、もう返却することも叶わぬ手沢本を、天羽さん風にチビチビやりながらゆっくり通読することにしました。その「中国の古典(Ⅰ)」に引かれる夏目漱石『文学論』の示唆に富む序文を掲げれば、漱石にも一家言をもっていた天羽さんが改めて思い出されます。

自分は少年時代に好んで漢籍をまなび、国史左漢(中国の古代史書『国語』『史記』『左伝』『漢書』のこと)を読んで、文学はこんなもんだという定義を得ることができた。が、英語は、漢籍とおなじ程度に学力をつけたつもりなのに、英文学を漢籍とおなじように味わうことができない。結局、漢文学と英文学とでは種類がちがうせいなのだろう。

2017年8月20日日曜日

天羽直之さんと百目鬼恭三郎3


お世話になったことも数え切れず、もし天羽さんに目次の構成を考えてもらえなかったら、拙著『琳派 響きあう美』が世に出ることはなかったでしょう。天羽さんから求められるまま、尊敬する中唐の詩人・李賀へのオマージュや、映画『天心』の印象批評、戯文「我が愛する三点 ジャンクで一杯!?」を、『國華清話会会報』に書いたことも忘れられません。

その李賀賛を書くとき、天羽さんがここにも李賀のことが出ていますよと、百目鬼[どうめき]恭三郎の『読書人 読むべし』を貸してくれました。宋の計有功が撰した『唐詩紀事』を取り上げ、1150人もの詩人から李賀一人だけを紹介していたからです。百目鬼氏も大好きな唐詩人だったのでしょう。氏は長く朝日新聞に勤めていましたから、天羽さんもよく知っていたのかもしれません。

もちろんすぐにページを繰りました。百目鬼氏が毒舌家であることだけは知っていましたが、その著書を読んだことはありませんでした。ともかくもすごい人だ、どれくらい本を読んでいるんだろう、しかもむずかしい本をテンコ盛りにした書き下ろし――僕にはとても真似できないなぁというのが、率直な感想でした。

2017年8月19日土曜日

天羽直之さんと百目鬼恭三郎2


僕も天羽さんに惹かれた一人、想い出は尽きません。とくに仕事の打ち合わせと称する酒席と、清話会特別鑑賞会の斥候役や挨拶を兼ねた事前旅行は深く心に刻まれています。それは秋田から博多に及びました。こういう時に、歌舞伎から現代文学まで広い教養を身につけた天羽さんからは、いろんなことを教えてもらいました。

たとえば、「サイデンステッカーは中国の音楽と日本の哲学ほどつまらないものはないと言っている」というのがあります。日本の哲学といっても、近代哲学のことじゃないかなぁと思いますが……。天羽さんが最高の一句とするのは、高浜虚子の「去年今年貫く棒の如きもの」でした。その理由を聞いていると、何でこれがいいのかそれまで分からなかった僕も、やはり名句なんだなぁとはじめて腑に落ちたことでした。

また「大宅壮一は日本の四大権威として、東大、朝日、岩波、NHKを挙げた」とも教えてくれました。僕的にいえば、現在前の三つの権威は地に落ちてしまいましたが、NHKだけは今も我が国のオーソリティであり続けています。

その理由は、NHKがエリートではなく、広く国民市民を相手にしているためであるというのが見立てです。時々おしゃべりトークで大宅四大権威説を取り上げて解説を加え、時間稼ぎをしているのですが、こういうことができるのもひとえに天羽さんのお陰です(!?

2017年8月18日金曜日

天羽直之さんと百目鬼恭三郎1


追悼 天羽直之さんと百目鬼恭三郎『読書人 読むべし』(新潮社 1984年)

去年の秋、畏友・天羽直之さんが76歳で亡くなりました。天羽さんは朝日新聞社出版局を退いたあと、國華社代表社員となり、國華清話会が出来てからはそのアドバイザリーを兼務、晩年はもっぱら後者に傾注されました。

内に強い信念を持ちながらも、自己主張を押し通すことなく、泰然自若としておのれの責務を着実に果たした仕事人でした。その仕事のなかから生まれた人間的な心の交流を何よりも大切にしました。したがってある仕事が終わっても、一度生まれた関係は地下水脈のようにずっと続いていました。しかもお酒と煙草を愛する天羽さんには男の色気がおのずから具わり、それが女性を、そして男性をも引きつけました。

新盆を控えた87日、天羽さんと特に親しかった國華社の6人が、彼のお好みだったお蕎麦屋さん「満留賀」に集い、献杯の儀を行なうことにしました。いや、「天羽さんを偲ぶ暑気払い」といった方が、彼も喜ぶことでしょう。

関谷徳衛編『良寛遺墨集』2

良寛が名主見習い役の実務に馴染めず、備中玉島(現岡山県倉敷市)の円通寺に入り、国仙禅師のもとで修行したことを思い出して詠んだ五言詩「憶在円通時」です。もちろん、この『良寛遺墨集』にも登載されています。しかも劈頭を飾る第一図です !! ところで岡田米山人は、イソウ...