2024年3月19日火曜日

岩波ホール「山の郵便配達」2

 

名古屋大学につとめていたころ、名古屋シネマテークで勅使河原宏の「アントニオ・ガウディ」がかかり、見に行こうと思っているうちに終っちゃったことがありました。そのころ映画への関心が薄れ、チョット忙しかったこともあるのかな? 

そんな思い出はともかく、名古屋シネマテークが閉館に追い込まれていく現状を嘆き悲しむ小原さんや、ケン・ローチ監督と僕も同じような気持ちになりました。

ヤジ「美術館は質量主義でいくべきだ――入館者数も重要だなんて言っているヤツが、笑わせるんじゃない!!

2024年3月18日月曜日

岩波ホール「山の郵便配達」1

 

 「ゴジラ-1.0」と「君たちはどう生きるか」が盛り上がっていますね。しかし今回は、同じ映画でもチョット趣の違う映画の話にしましょう。

旧聞に属しますが、去年『朝日新聞』夕刊に、小原篤さんの「取材考記 カンヌで聞いたミニシアターは世界への扉」が載りました。小原さんは文化部で映画、アニメ、マンガを担当する記者として働いています。いや、「趣味を仕事にせよ!! そうすれば一生働かないで済む」という名言にしたがえば、「趣味が全部仕事に」なっている小原さんは、働いてなんかいないんです() そのうち是非お会いしたいなぁと思わせる記者さんです。

小原さんはミニシアター「名古屋シネマテーク」が、コロナ禍による経営難で7月に閉館することを伝えていました。

2024年3月17日日曜日

サントリー美術館「織田有楽斎」7

 

もちろん有楽斎が愛蔵していたという「大井戸茶碗 有楽井戸」(東京国立博物館蔵)一点を堪能するだけで、十分モトは取れます。衒てらいのない民衆芸術の凝縮せるエネルギー、眺めているだけで現代生活のストレスがナンセンスに感じられてくる無作為性、どんなお抹茶でもやさしく迎え入れてくれるおおらかな赤味を帯びた釉色、槿域が生み出した大井戸茶碗の傑作です。

『大正名器鑑』は内箱蓋裏の銘を英一蝶にアトリビュートしているそうですが、江戸絵画史的にも興味惹かれる資料です。しかしこのような一つ一つの素晴らしさやおもしろさを超えて、有楽斎の生き方からSNSの馬鹿馬鹿しさを学び取れる点に、この特別展最大の魅力があるんです。

 ヤジ「ガラケーしかもっていないオマエが、偉そうな口を利くんじゃない!!


2024年3月16日土曜日

サントリー美術館「織田有楽斎」6


 

X(ツイッター)やインスタグラムをはじめとして、SNSなる怪物があまりにも大きな力をもち、それによって多くの悲劇が生まれるようになった現在、人間が健康に、真っ当に生きていくためには、「ウワサの無視」「人の目の否認」こそきわめて重要な命題ではないでしょうか。有楽斎に投げかけられたウワサ、風聞集などの誹謗や中傷は、現在のSNSと同じような暴力であったことでしょう。

その意味で織田有楽斎は、今もっとも学ぶべき人間のように想われてきたんです。そんなものは馬耳東風と聞き流し、一流の人間になったんですから……。「信長の弟、茶人の才」というキャッチコピーも悪くありませんが、「SNSの悪口なんか無視して、力強く生きよう!!」という方が今やキャッチーかな()

2024年3月15日金曜日

サントリー美術館「織田有楽斎」5

 つまり有楽斎の生き方は、「逃げ」どころか、むしろ積極的なベクトルをもっていたことを明らかにするために、本展を開くことにしたというのです。この二つのコンセプトはみごとに視覚化されていて、僕も会場を巡るうちに、あぁ成る程とよく腑に落ちてことでした。

しかし同時に、本展ではじめて有楽斎の一生をよく知り、チョッと異なる感想ももったんです。それは「人のウワサなんか一切気にするな」「人の目なんか一文の価値もない」というテーゼでした。「自分の信じた道を行く」と言ってもよいのですが、「ウワサの無視」「人の目の否認」といった方が現代にはふさわしいでしょう。

 

2024年3月14日木曜日

サントリー美術館「織田有楽斎」4

 NHKの人気番組「英雄たちの選択」のキャッチコピー「その心の内に分け入ってみよう!!」を、織田有楽斎に適用したらどうなるかというのが、本特別展のコンセプトみたいですね。しかしもう一つ大切なコンセプトがあるようです。正伝永源院住職・真神啓仁老師のあいさつには、つぎのような一節があります。

戦乱の世において数奇な運命に翻弄されながらも、現代まで伝えられてきた有楽斎の功績や遺構、想い、そして生き方を学ぶ中で、「逃げの有楽」と揶揄されてきたことに釈然としない想いを抱くようになりました。そこで、今までとは違う角度から有楽斎という人物を捉え直すべきだという強い想いが、本展の開催へと繋がりました。

 

2024年3月13日水曜日

サントリー美術館「織田有楽斎」3

さらにその後、信雄のぶかつ(信長次男)に仕え、家康と秀吉の講和を調整するなど存在感を示したものの、信雄が改易されると今度は秀吉の御伽衆に加わります。関ヶ原の戦いでは東軍として参戦、戦後も豊臣家に仕えましたが、大坂夏の陣の前には家康の許可を得て主人から離れました。織田、豊臣、徳川の三天下人に仕えて時流を乗り切り、75歳までの長い人生を過ごした彼の心中には、どのような思いがあったのでしょうか。

 

岩波ホール「山の郵便配達」2

  名古屋大学につとめていたころ、名古屋シネマテークで勅使河原宏の「アントニオ・ガウディ」がかかり、見に行こうと思っているうちに終っちゃったことがありました。そのころ映画への関心が薄れ、チョット忙しかったこともあるのかな?  そんな思い出はともかく、名古屋シネマテークが閉館に...