2017年7月13日木曜日

伊井春樹『小林一三は宝塚少女歌劇に……』1


伊井春樹『小林一三は宝塚少女歌劇にどのような夢を託したのか』(ミネルヴァ書房)

 いま逸翁美術館の館長をつとめている伊井春樹さんは、かの1989年の春から初夏にかけて、北京日本学研究センターで一緒に中国人学生を教えた同期の桜です。すでにアップしたところですので、ご記憶にある方は、ご記憶にあると存じます!? 

その伊井さんから、上記の新著をいただきました。今や100年の歴史を誇り、日本近代文化に華やかな彩りを添えてきた宝塚歌劇は、逸翁小林一三が創った宝塚少女歌劇から発展したものです。

逸翁は苦労の末開通させた箕面有馬電気軌道鉄道――今の阪急電車の終点となった宝塚を活性化し、ひいては鉄道そのものからも利益を上げるため、大正元年(1912)、温泉とともに室内プールなどの娯楽施設を有する近代的な洋館、宝塚パラダイスを建設しました。ところがこのプール、真夏でも水が冷たく、室内のため日光も射さず、5分と入っていることができなかったため、ほとんど誰も利用しません。

そこで逸翁は、継続は難しいと判断し、水を抜いて客席とし、脱衣場を舞台にして、少女歌劇を始めることにしました。いわば、宝塚歌劇は苦肉の策から始まった――これが定説となってきました。それも当然のことで、逸翁みずから、プールがうまくいかなかったので、それを少女歌劇の舞台に転用したと回想しているからです。

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