2017年11月4日土曜日

サントリー美術館「狩野元信」13


何ゆえにあのように傑出した芸術を創り出すことが可能だったのだろうか。どうして、日本絵画史上に燦然たる光輝を放ち続ける絵画を描き出すことができたのだろうか。

まず考えられるのは、イコノクラスム的価値観があったればこそ、逆に造形を行なわずにはいられなかったという理由である。アルタミラの壁画や我が装飾古墳を持ち出すまでもなく、人間には絵画造形意慾というDNAがそなわっていて、むしろ抑えつけられれば抑えつけられるほど、ほとばしり出るのである。

そうだとすると、彼らが現出させた山水も花鳥も、実は久遠実成の釈迦であったことになる。少なくともそこに、宗教的心象が宿っていたことは否定できないであろう。

あるいは、日蓮の自己矜持とそこから生まれた現実対決的姿勢が、芸術家に必須の自由と自在を担保したのかもしれない。例えば、光悦に関する最も重要な資料である『本阿弥行状記』の一節が参考になる。

家父光悦は一生涯へつらひ候事至って嫌ひの人にて、殊更日蓮宗にて信心あつく候故、右ヶ条にも儒者の見識と違ひ候ところも数ヶ所これあり。

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