2017年11月5日日曜日

サントリー美術館「狩野元信」14


注意してほしい。「家父光悦は一生涯へつらひ候事至って嫌ひの人にて」に、すぐ「殊更日蓮宗にて信心あつく候故」と続けられているのだ。両句が命題と判断であることは、改めて指摘するまでもないのである。

さらに、日蓮の革新性、いや、革命的性格が、伝統的様式や表現に唯々諾々としたがう退嬰的精神から、彼らを解放した可能性も考えられてよいであろう。江戸狩野の末輩が因習的な粉本主義に絡め捕られて、創造性を枯渇させていったとしても、そのパイオニアである正信・元信や探幽は、みずから新様式を開拓して、狩野派の画風を一変させた革命家だったのだ。

美術史において、すべてを宗教という観点から考察することはむろん間違っている。しかし、それをまったく無視して、芸術家の天賦の才や血のにじむような努力、あるいは社会環境に因縁を求めることも正しい方法とはいえないであろう。なぜなら、宗教はそれらを創り出す最も重要な要素だからである。



0 件のコメント:

コメントを投稿

渡辺浩『日本思想史と現在』7

しかし渡辺浩さんは、先行研究が指摘した二つの点について、高橋博巳さんの見解が示されていないことが、やや残念だとしています。その先行研究というのは、大森映子さんの『お家相続 大名家の苦闘』(角川選書)と島尾新さんの『水墨画入門』(岩波新書)です。 僕も読んだ『お家相続 大名家の苦闘...