2018年1月13日土曜日

前方後円墳13


つまり、もの・人・情報のネットワークというシステムをたゆみなく再生産していくために、列島の首長層は3世紀中ごろに大和地域の首長層を中核として、政治的に結びつきました。しかし確実に訪れる首長の死が、そのようなつながりを瓦解させないために創出された観念装置が、前方後円墳であったと広瀬さんは結論付けています。

先に卑弥呼を挙げましたが、推古天皇に匹敵する女帝は中国歴史上存在しませんでした。100年ほどあと、唐に則天武后が現れましたが、比較してみるとおもしろいでしょう。推古天皇がすぐれた天皇であったことは疑いありませんが、則天武后だって善政を行なっているんです。しかし、その後における両者の評価は天と地ほどに異なり、則天武后は悪女の代表みたいになってしまっています。

ここに僕は、中国と日本におけるジェンダー・ギャップの違いを感じざるをえません。誤解を恐れずにいえば、中国は男性中心の社会であり、日本は女性中心の社会、少なくともそれがジェンダーとして、遅くまで残っていた社会でした。則天武后は男性中心の社会によって、評価を下され、おとしめられ続けてきたのです。

もし前方後円墳に関する私見が認められるとすれば、そこには女性中心の日本文化、僕がいうところの手弱女ぶりの日本文化が、早くも顔をのぞかせていることになるのですが(!?)

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