2018年1月15日月曜日

前方後円墳15


仙厓にも神道を重視する思想がありましたから、東嶺の神儒仏合一とは、思想的にも結びつくことになります。さらに、神道への傾倒は、仙厓の師祖、つまり先生の先生にあたる古月禅材にまでさかのぼるそうです。

 もし前方後円墳と仙厓の「○△□」を結びつけるとすると、上記の解釈のうち、もっともふさわしいのは、いうまでもなく①ですね。我が国へ仏教が伝来した時期を考えると、②以下の解釈は前方後円墳と関係づけることがむずかしくなります。

先の『前方後円墳』によると、前方後円墳は、○と□ではなく、○と△と□を組み合わせたものであるという考え方の方が、実情に合致しているようです。これにしたがえば、前方後円墳も宇宙の根源的形態としての最も単純な三つの図形を基本としていると、ごくごくシンプルに考えることもできそうです。

 それはともかく、泉さんによれば、上記のごとく「○△□」の解釈に呻吟すること自体、すでに仙厓がこの図に仕掛けた「罠」にはまっていることになるのです(!?)


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