2018年3月16日金曜日

神奈川県立近代美術館・葉山「堀文子展」2


1946(昭和2139
2月中旬 堀文子が病気のため伏せている安子を見舞う(1950.6.1・『三彩43号』・堀文子「柴田安子女史の思い出」pp22-25)。甲状腺癌と堀は記述している。その後、3月中旬までに安子は下僕に命じて自分の作品を焼却した。

1947(昭和22
115日 デッサン「髑髏」を制作。
727日 逝去。世田谷区世田谷1-212.死亡診断書では悪性リンパ腫(ホジキン氏病)。遺骨は父の郷里角間川の最上家菩提寺浄蓮寺に埋葬される。法名・麗光院貞誉彩苑妙安大姉。
91日 『働く婦人7号』の表紙絵に柴田安子のデッサンが使用される(1947.9.1・『働く婦人7号』・表紙絵)。夫宜勝の関係か。看護婦の頭像のようだ。

1961(昭和36
15日 女流画家展―近代百年を彩る―に「めらはど」が出展(1.5-15・日本橋高島屋・主宰女子美術大学)

0 件のコメント:

コメントを投稿

ブータン博士花見会3

  イングラムはサクラの美に魅入られたイギリスの園芸家で、「チェリー・イングラム」という愛称を捧げられたほどでした。 1926 年、再び日本にやってきたイングラムは、日本人の関心が派手なサクラに向けられ、珍しい品種はないがしろにされて、本来の多種多様性が消滅しかかっている日本のサ...