2018年3月18日日曜日

神奈川県立近代美術館・葉山「堀文子展」4


 「奔る女たち 女性画家の戦前・戦後1930-1950展」のことは、フェイスブック友達?の児島薫さんからも教えてもらいました。また児島さんからは、もうそろそろ「閨秀画家」を止めた方が……といわれてしまいました。

「閨秀画家」では、忘れられない想い出があります。1989年、北京日本学研究センターへ講師として派遣されたとき、僕はゼミの教材に田能村竹田の『山中人饒舌』を選びました。「南画の興隆」の章に「女子玉瀾」と出てきたので、僕が「日本の最もすぐれた閨秀画家の一人です」というと、いきなり龔穎さんが手をあげて、「『閨秀画家』という言葉はよくないと思います。使わない方がよいのではないでしょうか」と発言したのです。

僕はびっくりしてしまいました。日本では、講義で何度もこの言葉を発しましたが、一度も学生から抗議されたことはなかったからです。「閨秀画家」に限らず、授業の途中で「オブジェクション」が入ったことなど、一遍もありませんでした。あるいは、「閨秀画家」に不快感や違和感をもった女子学生がいたかもしれませんが、挙手も発言もありませんでした。日中比較文化の観点からも、じつに興味深く感じたのです。

0 件のコメント:

コメントを投稿

渡辺浩『日本思想史と現在』12

  そのとき『君たちはどう生きるか』の対抗馬 (!?) として挙げたのは、色川武大の『うらおもて人生録』(新潮文庫)でした。京都美術工芸大学にいたとき、『京都新聞』から求められて、就職試験に臨む受験生にエールを送るべくエッセーを寄稿したのですが、本書から「九勝六敗を狙え」を引用し...